「働き方改革一括法案」の欺瞞――労働者を財界の使い捨てにさせてはならない
1.安倍政権による「働き方改革」の意味
2016年5月18日、安倍政権は「ニッポン一億総活躍プラン」を発表し、同年6月2日に閣議決定しました。これから目指す「一億総活躍社会」は、
女性も男性も、お年寄りも若者も、一度失敗を経験した方も、障害や難病のある方も、家庭で、職場で、地域で、誰もが活躍できる全員参加型の社会
(「ニッポン一億総活躍プラン」3ページ)
だそうです。
「働き方改革」は一億総活躍社会の実現に向けた「横断的課題」として提示され、担当大臣が置かれ、「働き方改革実現会議」が設置されました。「ニッポン一億総活躍プラン」では、
- 同一労働同一賃金の実現
- 最低賃金の引き上げ
- 長時間労働の是正
- 高齢者の就労促進
が掲げられています。ここには、これまで労働側が強く要求したにもかかわらず、財界と政府によって拒絶されてきたものが並んでいましたので、市民の中には、今度の「働き方改革」に期待する声もありました。
しかし、大きな疑問が生じます。これまで多くの女性や若者を非正規雇用として労働市場に登場させた上で、企業の身勝手な理由で使い捨てできるように、労働規制を緩和してきたのは一体誰だったのか、企業が派遣労働を永続的に使い続けることを認める労働者派遣法の大改悪を実行し、使用者に労働者への残業強制を野放しにしたうえ残業代を支払わなくてよいとする「残業代ゼロ」法案を国会で強行しようとしているのはいったい誰なのでしょうか。
安倍首相はこれまで自らの行ってきた政策に頬被りをし、180度方向性の異なることを言い出したのです。ですから、この1.~4.が、本気で政策転換しようとして出されたものなのか、きちんと見極める必要があるでしょう。
結論をいえば、「働き方改革」の本体はこの4つの項目にはありません。それは、作業を進める「働き方改革実現会議」の有識者議員15名中労働者代表が、連合会長1名のみとされていることをみてもわかります。安倍政権の「働き方改革」は、労働者にとってよりよい働き方を実現する改革ではなく、財界にとって労働者の使い勝手を良くするための「働かせ方」改革なのです。
2017年3月28日に「働き方改革実行計画」が発表され、本来は労使代表が参加して充分な時間をかけて協議されるはずの労働政策審議会は、わずか1月半で建議を発表しました。 2017年9月15日に「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案(以下「働き方改革一括法案」という)要綱」が答申されたのです。その後の国会に法案が上程されるはずだったのですが、国会が冒頭解散となり、国会上程が延期されたのです。
2.「働き方改革一括法案」の内容
2018年4月6日、働き方改革一括法案が閣議決定され、国会に上程されました(「概要」、「法律案要綱」、「法律案案文・理由」、「法律案新旧対照条文」、「参照条文」)。働き方改革一括法案は、以下の8本の法律の「改正」案を一括した法案です。
- 労働基準法の一部改正
- じん肺法の一部改正
- 雇用対策法の一部改正
- 労働安全衛生法の一部改正
- 労働者派遣法の一部改正
- 労働時間等の設定の改善等に関する特別措置法の一部改正
- 短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律の一部改正
- 労働契約法の一部改正
性格の異なる労働規制法の改正を一緒にまとめて審理し問題点が追求されるのを防ごうとしているのです。このこと自体が大問題です。
個別に法案の内容を見てみましょう。
2-1.雇用政策の目的変更
まず、雇用政策の目的を変更することが規定されています。「雇用対策法」というわが国の労働市場に関する基本をさだめた法律について、名称を「労働政策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実などに関する法律」へ変更します。そして、目的から「労働力の需給の均衡」を削除し、「労働生産性の向上等を促進して」を追加します。国の施策として 「多様な就業形態の普及」を掲げました。生産性向上や多様な働き方が労働政策の目的として強調されるのです。
2-2.労働時間の規制緩和
2-2-1.裁量労働制の拡大(撤回)
働き方一括法案要綱には、労働時間規制を緩和する二つの制度改革が規定されていました。その一つが、裁量労働制の拡大です。具体的には、「企画業務型裁量労働制」の適用対象業務の拡大です。PDCAサイクルを回す業務と法人向けの提案型営業業務を新たに追加するというものです。
裁量労働制は、どんなに長く労働してもあらかじめ決められた労働時間働いたものとして扱われ、不払い残業を助長する制度であり、適用は厳格になされるべきものです。財界は、営業職社員等への適用拡大を要求していました。
国会審議の中で、これまで政府が裁量労働制拡大の根拠としてきたデータが根拠のないものであることが判明し、裁量労働制の拡大は働き方改革一括法案から削除されることになりました。もっとも、政府はあらためて法案を提出することを検討するとのことです。油断は禁物です。
2-2-2.高度プロフェッショナル制度
労働時間規制を緩和するもう一つの柱が「特定高度専門業務・成果型労働制(高度プロフェッショナル制度)」の創設です。「高度の専門的知識を必要とし、時間と成果との関連性が通常高くないと認められるものとして厚生労働省令で定められる業務」であることと「年収が平均給与額の3倍を相当程度上回るものであること」の2つの要件を満たす労働者については、労使の代表によって構成される委員会の議決によって制度導入が可能です。導入にあたっては、一定の健康確保措置を講じることが義務づけられており、適用には書面による労働者の同意が必要とされています。しかし、必要とされる健康確保措置の内容は不十分であり、適用対象労働者が使用者の意思に反して同意を拒否することは現実には困難です。この制度が適用されると労働基準法が規制する労働時間規制の適用がなくなるのです。使用者は残業代や深夜労働に対する割増賃金の支払いをしなくても良くなります。高度プロフェッショナル制度の適用になれば、労働時間が果てしなく延長されるのです。法案は健康確保措置として、4週間で4日以上の休日の付与を定めていますが、これでは、4週間の最初にまとめて4日の休日を与えれば、残りの24日間は休日を与えず、かつ休憩も与えず1日24時間ぶっ通しで働かせることだって違法ではないことになるのです。まさに、使用者に奴隷状態の働かせ方を容認するものです。
高度プロフェッショナル制度は、労働時間規制を全面的に排除するというきわめて極端な制度であり、導入を容認できないものです。一度導入を許してしまえば、年収要件などは財界の要求によってどんどん緩和されていくことは明白です。
この制度は、アメリカのホワイトカラーエグゼンプション制度が見本であり、財界の強い要求で導入が規定されたのですが、アメリカではオバマ政権のもとで制度見直しがなされています。安易にこのような制度を持ち込むことは、長時間労働を助長し過労死を促進することになりかねません。
2-2-3.労働時間の上限規制
長時間労働による心身の疾患が深刻な事態となっているいま、長時間労働の規制は喫緊の課題です。わが国の労働時間は1日8時間週40時間が限度とされているのですが、労使協定で青天井に残業させることが認められています。フランスなどでは1日最長延長時間を原則2時間と規制されています。わが国でも厳格な上限規制が必要なのですが、今回の法案では、労使協定による時間外労働の上限時間は、単月で100時間、2~6月平均で月80時間、休日労働も含めると年間960時間までとされ、毎月80時間の時間外労働が可能となるのです。これは、まさに過労死認定基準ラインの規制です。今回の法案は過労死するまで働かせることを容認する上限規制でしかないのです。しかも、法律でこうした限度時間が規定されることにより、ここまでは残業させても良いのだという誤ったメッセージを社会に伝えてしまうことになり、問題です。
また、こうしたきわめて不十分な規制さえ、新たな技術、商品又は役務の研究開発業務は適用対象外とされ、自動車運転業務・建設業務・医師については5年間猶予とされています。さらに、月60時間を超える割増賃金率5割の中小企業への適用猶予を2022年まで延期することも規定されています。これでは、長時間労働を是正することに到底つながらないのです。
2-2-4.インターバル規制
また、労働終了後次の労働開始までに充分な休憩時間を確保させるインターバル規制の導入が必要なのですが、今回の法案はインターバル規制については法律で規制することなく、努力義務にとどめてしまいました。労働時間が細切れにされ、充分な睡眠時間の確保さえできない労働者が多発しています。ヨーロッパでは11時間のインターバル規制が一般的です。たとえば、夜11時まで残業した場合には、翌日の勤務開始時刻はたとえ就業規則で午前9時とされていても、午前10時以降でなければならないのです。わが国にも速やかに実効性のあるインターバル規制を導入することが必要です。
2-3.「同一労働同一賃金」のごまかし
「ニッポン一億総活躍プラン」は、「働き方改革」の方向として、同一労働同一賃金の実現を重要課題として位置づけ、
同一労働同一賃金の実現に向けて、わが国の雇用慣行には十分に留意しつつ、躊躇なく法改正の準備を進める。労働契約法、パートタイム労働法、労働者派遣法の的確な運用を図るため、どのような待遇差が合理的であるかまたは不合理であるかを事例などで示すガイドラインを策定する。・・・非正規という言葉を無くす決意で臨む
(「ニッポン一億総活躍プラン」8ページ)
とし、「関連法案を国会に提出する」としていました。
「同一労働同一賃金」とは「職務内容が同一または同等の労働者に対し同一の賃金を支払うべきである」という規範です。EU諸国においても,職務内容に伴わない手当などが払われることは事実ですが、それはあくまで例外であり、賃金のごく一部の割合に過ぎません。EU諸国では、職務給が基本であるため、同一労働同一賃金の規範が社会的に定着しています。
同一労働同一賃金が原則であるとすれば、「職務内容が同一または同等」であることと格差の存在を労働者が主張立証すれば、使用者は格差の合理性を主張立証しなければなりません。使用者が労働者と対象労働者との格差の合理性を主張立証することに失敗すれば、使用者は差額賃金を労働者に支払わなければならないのです。
わが国の賃金制度においては、賃金支給についての明確な基準が社会的には確立していないために、賃金に格差がある場合に何が合理的で何が不合理なのかを判定することがきわめて困難なのです。「同一労働同一賃金」をわが国に導入することの意味は、賃金は現実に労働している職務にもとづいて支払われるのが原則であることを規範として確立することです。
ただ、EU諸国では、「職務」が企業を超えた仕事基準として成立していますが、日本では「職務」と言っても企業内で考えられていることが普通です。「同一労働同一賃金」を法律で規定するとしても、その対象は同一使用者のもとで働く労働者に限定されることになります。そのため、「職務にもとづいて支払われる」と言っても直ちに企業間の大きな賃金格差を縮めることにはなりません。しかし、それでも、この原則が通れば、企業内の雇用形態による格差、性による格差などの不当格差については、当然に使用者がその合理性について主張立証責任を負うことになりますから、不当な賃金格差と争う際の現実の紛争解決において極めて重要な改革です。
しかし、安倍政権の働き方改革の目玉であったはずの「同一労働同一賃金」は、今回の法案では、実質において完全に姿を消しています。
経団連をはじめとする経営側の抵抗が激しかったのです。経団連は、2016年7月19日、「同一労働同一賃金の実現に向けて」と題する文書を発表しました。そこでは、欧州諸国と日本の制度の違いを強調し、経団連の求める「日本型同一労働同一賃金」は
「職務内容や、仕事・役割・貢献度の発揮期待(人材活用の仕方)など、様々な要素を総合的に勘案し、自社にとって同一労働と評価される場合に、同じ賃金を支払うこと」を基本的考え方とする。
ガイドラインの策定や法制度の見直し、簡易な救済制度の利活用等により、同一企業における正規従業員と非正規従業員の不合理な待遇差を禁止する現行ルールの実効性を高める
(「同一労働同一賃金の実現に向けて」9ページ)
としています。これは、現状の正規と非正規の格差を正当化する方向であり、現状追認でしかありません。世界標準である「同一労働同一賃金」の制度導入に、経団連は真っ向から反対しているのです。
結局、安倍政権は、財界の意向を受けて、現行の均等・均衡待遇規定の現状固定を追認することにしました。
具体的な法律改正作業としては、労働契約法から20条を削除し、パート労働法を改正して有期契約労働者も対象とします。この点は、形式上の変更であり、実質的な変更はありません。
賃金については「職務の内容、職務の成果、意欲、能力、経験など」を考慮要素として賃金決定することを使用者の努力義務としています。これは、従来の労働契約法での考慮要素が「職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情」となっていたものを大きく広げることになります。つまり、使用者による処遇格差の合理性が認められやすくなることになり、労働者がその不合理性を主張立証することがより困難になる改正です。
また、派遣労働者については ①「派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」と②「労使協定による一定水準を充たす待遇決定による待遇改善」との選択制とします。 ①について 派遣先の派遣元への情報提供義務、②について 過半数代表との書面による協定(同種の業務に従事する一般の労働者の賃金と同等以上であること、公正な評価の結果を勘案した賃金決定であること、賃金以外の待遇について派遣元の正規雇用労働者の待遇と比較して不合理でないこと、を条件とする)によることとしています。
労働契約法や労働基準法に総則的な「同一労働同一賃金」の規定を置くこともしません。つまり、今回の法案には、非正規と正規という雇用形態による差別を解消する、あるいは性による差別を解消するための「同一労働同一賃金」規定は一切含まれていないのです。
3.「働き方改革一括法案」の評価
安倍「働き方改革」は、貧困と格差の拡大を財界の要求に基づき追認するものです。今国会に提出予定の「働き方改革一括法案」は、財界の要求にもとづきより生産性の高い働かせ方の実現に向けて雇用の非正規化・弾力化・流動化を積極的に推進するものでしかなく、労働者の立場に立って、働く者の命と健康・労働条件の向上を実現すものとはまったく逆方向のものです。人間らしく働き暮らすための真の働き方改革の実現に向けて運動を強化していきましょう。
中村和雄(市民共同法律事務所、弁護士)
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